自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その6
こんにちは!メグモグです。
お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。
褒められることも、嫌いだった。
ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。
↑↑↑のつづきです。
その頃はホテルの料理長として、朝6時から夜10時過ぎまで働いていました。
それでも一人だけの自分の暮らしは大切にしていましたし、夜遅く帰ってもちゃんとご飯を作って食べていました。
そして結婚して穏やかに暮らしている風なイメージトレーニングをしつつ、生活するように心掛けていました。←ウソのようなことですが、コレ大事です!
さらに周りの人に、「いい人がいたら紹介してね」とアピールするようにしました。
ただし紹介して下さる人が、パートナーとの生活を幸せそうにしているかどうかは重要視していました。
紹介して頂いた何人かの方とは、お茶や食事に行きましたが、盛り上がることは無かったです…。
そんな時、スキーインストラクター時代の知り合いから電話が架かりました。
私の心境の変化など知る由もない方からの、偶然の電話です。
「いい人がいるから、長野県まで遊びに来ない?」と。
さっそく3日ほど休日を取り、長野県に向かいました。
日本画家であり
美術の非常勤講師をし
地域の子供たちに剣道を教え
冬はスキー(指導の資格を持つ)
というユニークな人です。
石川県と愛知県、遠距離だったので会ったのは3~4回でしたが、3か月後くらいには結婚しよう!となっていました。
私47歳、夫45歳、二人とも初婚。
私たちも超~晩婚なら、両親も高齢です。
結婚式も挙げず、引っ越しして翌日入籍して終了~といった感じでした。
引っ越しした日は、一年前に父が亡くなった日でした。
本当に、図ったかのようなことでした。
夫は、「絵描きは貧乏」と自負していて、お金に執着がない人でした。
最初会った時も、「小銭をかき集める生活です」と言っていた。
「熊手で…」も付け加えていたような気がする。
無いなら無い、を楽しんでいるようでした。
もちろんパチンコもしません。
もうそれだけで、私の中では◎です。
日本画家と調理師ですと、生活力があるのは断然後者です。
私は独身時代から経済的に自立した生活をしていたので、「私が食べさせてあげる!」くらいの勢いでした。
当初は、レストランやホテルで働くことを考えていました。
ですがこれからは夫との生活を一番に考えようと思い、外食産業ではなく給食のおばちゃんの道を選んだのです。
長い独身生活は自由もたくさんありましたが、一人は一人です。
色々面倒なことがあったとしても、自分にはない発想の人と折り合いつけながら生活することは、自分自身の新たな発見が多かった。
そして生活のレベルは、一人で暮らしていた時から今でもさほど変わっていないし、変えないようにしてきました。
ですのでコロナ禍でも、さほど不安は感じていません。
しかし私の人生最大の野望は、「夫が超売れっ子日本画家になって私は左うちわ生活」です。
その時には、贅沢三昧の予定です。
さてこれからの自分史は、如何に?!
夫が売れっ子日本画家になるのは他力本願です。
「自分で自分を、幸せの高みに上げてやる!」の二本立てで、これからも邁進します。