自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その1
こんにちは!メグモグです。
以前に、お金のブロックのことを書いたことがあります。
今は、「お金、大好き~!」と言える。
先日とあるサイトで、「お金は、自分」という言葉を目にした。
なるほどです。
お金は自分、お金大好き、自分大好き ですね。
確かに、お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。
褒められることも、嫌いだった。
ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返って、キッカケなどを振り返ってみようと思います。
給食のおばちゃんの歴史は、高校を卒業して調理師専門学校に行き、免許を取得したところから始まります。
料理が好き!という訳ではなく、高校生のころから家族の夕食を作っていたので、「自分が無理なくできること」だったから進んだ道でした。
それなのにこんなに長く同じ仕事をしていることは、自分でもビックリです。
卒業後は、病院の給食のおばちゃん…(ではないですね、その頃は給食のおねえちゃん)として働き始めました。
給料も良かったですし、休日などの待遇もとても良かった。
ですが、一年、二年と働くうち何だかつまらなく感じてきた。
栄養士だと患者さんと接する機会があったり、業者さんなど外部の人との接触もあります。
調理師は、決められた献立を決められたとおりに作るのが仕事です。
仕事からの広がりを、見いだせなかった。
悶々とした日々を送っていました。
色々考えても埒が明かない。
「辞める!ということをやろう!」と一人で決め、後のことは全く考えずに退職してしまいました。
これは自分で考え、自分で決めて、自分で行動する、ことを人生の中で初めて経験した出来事でした。
それまでは、「こうしたら?」と親の言われるまま進んできていました。
そのことは、全く疑問にも思わなかった。
給食のおばちゃん、人生初の転機でした。
そんな私が一言の相談もせずに仕事を辞めてしまったことは、両親にとってはとてもショックだったようです。
辞めた時はウキウキでしたが、そのうち世の中の荒波を知る訳です。
ちょうど日航機が御巣鷹山に墜落した頃でした。
毎日テレビを見ていた記憶があります。
3か月ほど家でゴロゴロしていたでしょうか。
このままではいけない!と気持ちも動き出せるようになってきました。
料理関係なら、働き口に困ることはありません。
閉鎖的な給食の仕事ではなく、人と接する仕事に憧れていたので、飲食店でアルバイトを始めました。
半年ほどそんな生活をしていた時、スキースクールの校長先生が宿をオープンさせたという新聞記事を見たのです。
「こんなところで働けば、スキーが上手な人たちが集まってくるはずだし、ヒマな時には教えて貰えるかな?」と思ったのです。
早速電話をし、ウインターシーズンの約3か月半住み込みで働くことになりました。
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