メグモグ生活

不動産賃貸業・調理師・日本画家マネージャー 三足のわらじを履いています

MENU

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その3

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その3

 

こんにちは!メグモグです。

お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。

www.megumogu-seikatsu.com

 ↑↑↑のつづきです。

 

 

スキーインストラクターとして10シーズン(10年)過ごし、自分の中ではやり切った感がありました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192504p:plain

調理師の資格を生かして飲食関係で働きたいと思っていたところに、喫茶店を多店舗展開している会社から声が掛かりました。

スキーシーズンを終え、春。

5月の爽やかな風が、心の中を吹き抜けるような気持ちでした。
今でもそれは覚えています。

 

その頃イオン、ユニー、平和堂など、ショッピングセンターの出店ラッシュの時期でした。
大店法の改正があったからです。

 

入社した会社は喫茶店を経営していましたが、路面店を1店舗だけ残しショッピングセンター内のテナントとして多店舗展開を狙っていました。

喫茶店で取り扱う食材で、ファストフード店が出来ないか模索中でした。
デザート系なら、ソフトクリームやクレープなどがメニューにオンできます。

食事系なら、ピザやホットドックなどが展開できます。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192738p:plain

毎日10時の開店時間から、夜は閉店後会社へ向かい、社長とミーティング。

遅くなれば、そのまま近くのラーメン屋さんで遅い夕食。

男性のような毎日を過ごしていました。

 

それらの店舗が軌道に乗ると、新たにコーヒーとケーキ、パスタを主流としたフランチャイジーの権利を取得することになりました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192835p:plain 

多い時には10店舗の統括管理をしていて、至る所の店舗の店長から電話が架かるという状況になっていました。

 

今振り返ると、料理もマネジメントも基礎的なことを習得していた訳ではなかったのに、このような立場で働いていたことを面映く思います。

逆にこの時期に料理やマネジメントでしごかれる立場で働いていたら、全く違っただろうなと思います。
もっと学びたかったと、今でも思います。

タラレバですが。

 

ですがこの会社では、ハートを鍛えられました。
自分の親ほどの年齢の人が、部下という状況もある訳です。
色々な価値観、考え方の人がいます。
嫌なことも、たくさん言わないといけない。

私の人格と、私の立場は違う。
私の人格で、叱るわけではない。
私のこの立場が、叱ったり注意したりしないといけないのだ ということが分かった時から気持ちが楽になりました。

 

飲食業に携わる人にありがちですが、人が食べるものにはパワーをかけますが、自分の食事はなおざり。

当時の私もその通りでした。

休日も、月に2日か3日ほど。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627193414p:plain

8年ほどガムシャラに働いてきた、2000年の春あたりのことです。
物を食べた後、胃が刺し込むように痛くなるのです。
胃薬が、手放せなくなっていました。


ちょうど5月に会社の健康診断があるので、それまで何とかやり過ごすことにしました。

 

そして健康診断を迎え、胃カメラ検査に臨みました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627193728p:plain

「潰瘍があるね、周囲の細胞を取って組織検査に出すね」と言われました。

そして胃潰瘍の薬が、その場で出されました。

胃潰瘍の薬は劇的に効き、今まで何で我慢してたのかな?と思うくらい。

そんな訳で、胃潰瘍の存在もすっかり忘れていたのです。

 

するとある日、仕事中に見慣れない電話番号からの着信がありました。

出てみると、病院の医師からです。

「外科的処置をした方がよさそう。詳しい話をしたいから、なるべく早く病院に来てほしい」。

 

外科的処置ということは、ガンしかないな…。
直感的に思いました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627193902j:plain

意を決して一人で病院に行くと、取った組織に悪性を示すものがあるとのことだった。

ショックではあった。

が、もう一つの気持ちがあった。
「これでやっと仕事が休める…」

その当時、会社の近くに一人で住んでおり、両親とは離れて暮らしていた。
毎日仕事仕事に追われている私の姿を、両親は知らなかった。
そして胃がんで手術が必要らしいという事実を伝えるのは、とても勇気が必要だった。

 

つづきはこちら↓↓↓

www.megumogu-seikatsu.com