メグモグ生活

不動産賃貸業・調理師・日本画家マネージャー 三足のわらじを履いています

MENU

女性で低属性の大家デビュー!政策金融公庫へ融資のお願いへ行く

 女性で低属性の大家デビュー!政策金融公庫へ融資のお願いへ行く

 

こんにちはメグモグです。
低属性の「給食のおばちゃん大家」のお話です。

 

物件はキャッシュで購入しました。
リフォーム資金政策金融公庫にお願いしました。

 

その際の色々を書きます。

 

政策金融公庫融資のお願いと資料作成

 

以前に面談をして頂いた担当者に電話連絡し、融資のお願いをする。

まずは、「以下のものを準備して下さい」と言われた。

注)これは2018年9月のことですので、現在は違う場合があります。

 

www.jfc.go.jp

 

準備すべき書類とは?

・免許証(コピー)

・家賃相場

2~3社をヒアリングし、自分の物件と同じような条件の賃貸物件のマイソクを付ける

・前年度の源泉徴収票

・今年に入っての自分がメインで使っている銀行の通帳コピー(見開きで)

・電気、ガス、水道代の直近3ヶ月の使用量が分かるものと、その支払明細と領収書

・現在手持ちの資金がわかるもの

・購入した不動産の領収書

・不動産売買契約書

・自分が賃貸物件に住んでいる場合の、賃貸契約書と家賃の領収書(3ヶ月分)

・物件を購入するまでのお金の流れが分かる通帳コピー

 

ちょっとした工夫をプラス

f:id:smile-baumkuchen:20200812170808p:plain

 以上の書類を準備するのも大変でしたが、手にした担当者に分かり易くすることも必要だと思いました。

一つ一つの書類にインデックスを貼り、分かりやすくした。

これは後で「大変見やすかったです!」と言って貰えました。
(ポイント高め?)

 

創業計画書の作成

決められたフォーマットがあるので、そちらに記入。

個人事業主として店舗を構える場合の創業計画書と違い、不動産賃貸業の場合はそこまで難しくはないです。

 

融資条件の希望

利率は以前より1.78%と告げられていた。

10年110万円を希望した。

 

結果、利率1.78%、10年、120万円で融資が下りる。

 

担当者からは、本来ならこの金額なら10年は長いが…とは言われました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200811205908p:plain

返済開始について

入居者が決まり家賃が入るまでは返済を待って貰うこともできるが、少額(月/12,000円ほど)なのですぐに返済を開始した。

(心の中では、気合で入居者を決めるぞ!と思っていた)

 

まとめ

スムーズに事が運んだ要因は、物件取得前から政策金融公庫へアプローチしていたことが大きいです。

多くの提出書類がありますが、ちょっとした工夫で好感度アップです。

 

メグモグ生活について

メグモグ生活について

f:id:smile-baumkuchen:20200731175452j:plain

 

 

メグモグとは

名前が「めぐみ」、食べる擬態語の「もぐもぐ」、これを合わせて作った言葉です。

食べること、料理をすること、自分の料理を美味しい!と喜んでくれること、が好き。
またそれがとても嬉しいことです。


ブログの趣旨

自分の経験や悩んでいたことを情報発信することで、誰かの困っていることや悩みの解決のヒントになればと思い書いています。

 

主な内容

1、不動産投資

f:id:smile-baumkuchen:20200628145109j:plain

築古戸建の大家です。
低属性で女性でも、不動産賃貸業で収入を得ることはできる!ということを伝えたい。
「やってみたい!」と思う方の背中を押す存在になりたいです。


2、お金について

f:id:smile-baumkuchen:20200628132439p:plain




不動産投資と切っても切れないのが、お金。
お金の勉強は学校では教えて貰えない。
けれど、学校の勉強以上に大切な学びだと思う。

自分にはお金のブロックがあり、それを外すことが大変だった。
それをどうやって外し、「お金、大好き!」と言えるまでになったか。


3、調理師の仕事

f:id:smile-baumkuchen:20200628123913p:plain




高校卒業後、調理師専門学校に入学し免許を取得。
以後スキーインストラクターや競走馬保養牧場での事務員の仕事など、脱線した時期もありましたが、これまでずっと続けてこれました。

仕事の内容や料理に関しての記事ではなく、仕事に対するマインドを中心に書いています。


4、日本画家の夫ついて

f:id:smile-baumkuchen:20200805180753p:plain

マネージャーとして、夫を叱咤激励しています。
何故なら私の人生最大の野望は、「日本画家としての夫の収入で、私は左うちわ生活をする!」だからです。

今こうして楽しく暮らしていますが、結婚したのは47歳でした。
それまでずっとシングルで、仕事に逃げるように働いていた…。
シングルで何となく先行きに不安を感じている女性には、とても共感します。
そんな方の応援者として、パートナーシップに関することも書いていきます。

 

5、病気のこと

f:id:smile-baumkuchen:20200627193625p:plain


2000年難治性胃潰瘍で胃を2/3切除
2020年乳がんで右乳房とリンパ節を切除
これらのことは、人それぞれ病気のタイプがありますので、詳しくは書かないでおきます。
私自身闘病中は、敢えて体験者のブログを読むことはしなかった。
やみくもに不安になるように思ったからです。
不安や疑問は主治医、看護師、管理栄養士に直接聴き、自身で納得し病気と向き合い治療に励みました。

でも病気で苦しんでいる人の力にはなりたい!!と強く思っています。

一方で中学生の頃から外反母趾でした。

f:id:smile-baumkuchen:20200805181025p:plain
50歳も半ばを過ぎると、足の形まで変形し痛みも出てきた。
いよいよ手術しかない?!
意外に外反母趾で悩んでいる女性が多い!
その悩みや治療について書きます。

 

6、雑記

夫の取材に同行して、度々小旅行に出掛けています。
そのような旅日記や、思うこと考えることなどカテゴライズできない息抜き記事です。

もともと哲学的に物事を考えるタイプです。
マインドやスピリチュアル的なことも大好きです。
コーチング、ストレングスファインダー、九星気学などを勉強中!それらのことも書いています。


メグモグの自己紹介

 

1、生い立ち

石川県生まれ。
姉、弟にはさまれた、三人兄弟の真ん中。

幼少期は本当に大人しく、親が心配するほど全く自己主張ができない子供だった。
小学校3年生のクラス担任の先生との出会いでスポーツが大好きになり、殻から抜け出したように活発に変身した。

f:id:smile-baumkuchen:20200805181822p:plain

リーダータイプなのか、中学、高校とも部活動ではキャプテンを務めた。



2、職歴など

高校卒業後、調理師専門学校に通い調理師免許を取得。

その仕事を選んだのは、料理を作ることが努力しなくても自分ができることだったから。

特に料理を作ることが好きな訳ではなかった。

調理師専門学校を卒業し、調理師免許も取得、同年に新設された地元の総合病院の栄養課に新卒入社する。

f:id:smile-baumkuchen:20200805182126p:plain

二年半ほど勤め、退社。

その頃の若い私には、その環境がつまらなかったのだ。

 

半年ほど悶々と落ち込む日々を過ごした後、地元のスキースクールの校長が経営する宿でアルバイトを始める。

さほどスキーが上手だった訳ではないが、ひょんなことから子供のレッスンを担当することになり、宿の仕事と見習いインストラクターの二足のわらじを履くことに。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200805182228p:plain

冬はスキーインストラクター、夏は飲食店でのアルバイト。

この生活を10シーズン続ける。

 

30歳を過ぎ地に足を付けた生活をするべく、正規社員として飲食店経営企画会社に就職。
喫茶店、ファストフード、フランチャイズカフェを統括するマネージャーとして働く。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200805182306p:plain

2000年、37歳の時に健康診断で胃がんが発覚。
胃の2/3を切除。

復帰後一年間事後処理のため働き、退職。

 

職業訓練学校に通い、簿記やOAの知識を学ぶ。

 

地元にある競走馬育成牧場で、事務員として就職。

毎日知らないお客様にニコニコと接し、料理を作り、ということから一旦離れたい気持ちから事務職に。

2年半働き、「このままではダメだ」と一発奮起して料理の世界に戻る。

 

カフェ、ビストロなどで働いた後、バイキング形式のホテルに就職。

フロント業務など他部署も経験し、料理長となる。

f:id:smile-baumkuchen:20200805182414p:plain

 

3、結婚

これまで仕事の虫のように働き、結婚するなど夢にも思わなかった。

青天の霹靂で47歳にして結婚、愛知県に転居。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200805182454p:plain

夫とはスキーが縁で知り合った。
スキーヤーであり、剣士であり、日本画家でもある、とてもユニークなところに魅かれた。

 

結婚後は家庭が一番、仕事が二番との考えでやってきた。

新卒で病院給食に就き、働いていた当時は「こんな仕事は年を取ってからでもできるな」と思った。

その思いのとおり、障碍者施設や老人施設での給食の仕事に就いた。

f:id:smile-baumkuchen:20200805182542j:plain

 

昔から事業欲があり、何か自分で興したかった。

料理でそれをやるものとばかり意識が行っていた。

起業塾に通ったり、料理教室の講師をしたり、試行錯誤が続くも一旦料理での起業を断念する。

 

4、三足のわらじを履いた仕事

お金の勉強をするにつけ、「金持ちは必ず不動産をやっている!」という所に気が付いた。

f:id:smile-baumkuchen:20200628130116p:plain

低属性の自分でも出来る不動産投資はあるはず!と一念発起。

サイトで見つけた不動産投資家育成協会・名古屋支部で学ぶ。

 

現在、築古戸建て1戸、バイクガレージ1か所(3台)を所有。

 

2019年、乳がん発覚。

右乳房とリンパ節を切除。

 

調理師の仕事、大家さんとしての活動、夫の日本画家マネージャーとしての活動、目まぐるしい生活を一旦ストップさせる事態に直面する。

一方で「もっとのんびりしたい」「このままではダメだ」の心の声もあった。

 

そんな私の心の声を察知し、神さまは乳がんというギフトをくれたのだ!!と思えた。

闘病中は「死ぬこと以外はカスリ傷」といつも思っていた。

 

現在調理師の仕事は休職中。

 

メグモグが伝えたいこと

お金は大切だけど、時間はもっと大切。

お金は無限だけれど、時間は一日24時間という有限であり、人間は誰しも死ぬことだけは決まっているから。


人生はバランス。
大家さん、調理師、日本画家マネージャーの三足のわらじを履いた生活が、私にはバランスを取りやすいあり方。

人生はワクワク(心はハッピーに)キョロキョロ(好奇心を持って)で!

愛と感謝と勇気、そしてそれらを体感できるほど程度のsome Moneyさえあれば、人生うまく行く!

 

最後に

ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。

私の経験や悩みを共有することで、少しでも気持ちが楽になったり、行動へのヒントになれば嬉しいです。

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

給食のおばちゃん大家、ちょっとだけ大家さんらしいことをした話

こんにちは!メグモグです。

 

毎日更新!と気合を入れているのですが、2日も空いてしまった…。
反省です。

f:id:smile-baumkuchen:20200630143236p:plain

今回は、給食のおばちゃん大家、ちょっとだけ大家さんらしいことをした話を書きます。

 

 給食のおばちゃん大家、ちょっとだけ大家さんらしいことをした話

 

・入居者さんからのメール

私が所有する戸建には、現在家族3人+猫ちゃん2匹が入居してくれています。
お父さんは自営業の方ですので、コロナが騒がれてからは少し心配していました。

 

様々な給付金や助成金の制度があるから、色々動いているかな…。
住宅確保給付金の制度は、自営業だから該当しないかもね…。
けれどまさか廃業…ということがあれば、もう連絡は来るよね…。

住居確保給付金について - 愛知県

新型コロナウイルス感染症関連 (METI/経済産業省)

そんなことを思っていました。

 

そう思っていた頃、何気なくスマホを見ると、ショートメールが入っている!?ではないですか。
よく見ると、入居者さんからです。
しかも5日ほど前に、受信されている!

 

f:id:smile-baumkuchen:20200630143442p:plain

最近の連絡ツールはEメールやラインがほとんどで、携帯電話のショートメールを見ることすらあまり無い。(言い訳…)

 

・自営業入居者さんのコロナ禍での現状 

「来月1日で、退去したい」という内容。

 

慌てて電話するも繋がらず、取り急ぎショートメールで「読みました」的返信をしました。
状況を伺い助成金の話や、もっと言えば家賃を下げる話もしたかったのです。

実はこれまで入居者さんとお話をしたことも、お会いしたことも一度もなかった。
ですので大家と話をするのが嫌なのかな…と思った訳です。

・大家としての対応

あいにく客付業者も、この日は休日。
取り急ぎ状況をメールで伝え、間に入ってもらうことにしました。

 

翌日には入居者さんが退去の書類にサインしに来られた、との報告も頂きました。

 

退去の日時も決まり、お部屋のクリーニング業者さんにも立ち会いをお願いしました。
そしてこのコロナ禍の中、次の入居者さんを探さないといけない訳です。
いくつかの客付け業者に、募集のお願いの電話を入れました。

 

そうこうしていたある日、入居者さんから電話が入りました。

 

引っ越し資金ももったいないので、少しづつ自力で作業をやっていたとのこと。
そうでしょうね…。

雨も降ってきて気持ちも萎えてきたところに、「もう少し踏ん張れば退去しなくていいかも…」と思い始めたと話すのです。

f:id:smile-baumkuchen:20200630143643j:plain

そこで現状の事業の話、助成金の話、今後の引っ越し先の話など色々とお聞きしました。

この物件の家賃は、月/63,000円です。
ですが物件を探している方の行動を考えると、5万円台で検索している人には引っかからない訳です。
ですので、家賃59,000円+駐車場代4,000円という設定をしてありました。

 

給食のおばちゃん大家としては、このコロナ禍で新たに入居者を探すということは大変だなという思いがありました。
ここで退去されてしまうよりも、少し家賃を下げてでも住み続けて頂いた方が良い!という思いがありました。

 

そこで駐車場代を値下げするから、もう少し頑張ってみませんか?と提案してみました。
もちろん駐車場代を取らない代わりに、駐車場は使えませんよ!というものではありません。

・退去の延期

すると明るい声(になったような気がした…)で「あっ!そっか!」となり、一旦退去の日時を延ばすことになりました。

そして2度目の退去予定が近づいたある日、再度入居者さんにお伺いの電話を入れました。
「もう一か月、お願いします」との返事とです。

 

以降毎月こうして、お伺いの電話を入れることになりました。
ここ2~3か月が勝負なようです。
秋ごろには、新規事業が軌道に乗りそうな気配です。

 

現状維持で耐えるだけでは、コロナ禍を進んで行くことは厳しいだろうと思います。
けれど、新たな事業に着手していることに希望を見出しています。

f:id:smile-baumkuchen:20200630143910p:plain

是非とも頑張って欲しいな~と、エールを送っています。

・まとめ

不動産賃貸業は、様々な事情を抱えている人に住まいを提供する事業です。
夜逃げや孤独死など、避けたい事例も多く経験することとなります。
今回はうまく行きそうな気配ですので良かったですが、一つ一つ大家としての経験を積み大家力を付けて行きます。

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その6

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その6

 

こんにちは!メグモグです。

お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。

www.megumogu-seikatsu.com


↑↑↑のつづきです。



その頃はホテルの料理長として、朝6時から夜10時過ぎまで働いていました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627183835p:plain


それでも一人だけの自分の暮らしは大切にしていましたし、夜遅く帰ってもちゃんとご飯を作って食べていました。

 

そして結婚して穏やかに暮らしている風なイメージトレーニングをしつつ、生活するように心掛けていました。←ウソのようなことですが、コレ大事です!

f:id:smile-baumkuchen:20200627184015p:plain
 さらに周りの人に、「いい人がいたら紹介してね」とアピールするようにしました。
ただし紹介して下さる人が、パートナーとの生活を幸せそうにしているかどうかは重要視していました。

 

紹介して頂いた何人かの方とは、お茶や食事に行きましたが、盛り上がることは無かったです…。

 

そんな時、スキーインストラクター時代の知り合いから電話が架かりました。
私の心境の変化など知る由もない方からの、偶然の電話です。
「いい人がいるから、長野県まで遊びに来ない?」と。

 

さっそく3日ほど休日を取り、長野県に向かいました。

日本画家であり

f:id:smile-baumkuchen:20200627184101p:plain

美術の非常勤講師をし

f:id:smile-baumkuchen:20200627184140p:plain

地域の子供たちに剣道を教え

f:id:smile-baumkuchen:20200627184214p:plain

冬はスキー(指導の資格を持つ)

f:id:smile-baumkuchen:20200627184240p:plain

というユニークな人です。

 

石川県と愛知県、遠距離だったので会ったのは3~4回でしたが、3か月後くらいには結婚しよう!となっていました。

 

私47歳、夫45歳、二人とも初婚。
私たちも超~晩婚なら、両親も高齢です。
結婚式も挙げず、引っ越しして翌日入籍して終了~といった感じでした。

 

引っ越しした日は、一年前に父が亡くなった日でした。
本当に、図ったかのようなことでした。

 

夫は、「絵描きは貧乏」と自負していて、お金に執着がない人でした。
最初会った時も、「小銭をかき集める生活です」と言っていた。
「熊手で…」も付け加えていたような気がする。

 

無いなら無い、を楽しんでいるようでした。
もちろんパチンコもしません。

 

もうそれだけで、私の中では◎です。

 

日本画家と調理師ですと、生活力があるのは断然後者です。
私は独身時代から経済的に自立した生活をしていたので、「私が食べさせてあげる!」くらいの勢いでした。


当初は、レストランやホテルで働くことを考えていました。
ですがこれからは夫との生活を一番に考えようと思い、外食産業ではなく給食のおばちゃんの道を選んだのです。

f:id:smile-baumkuchen:20200627185912j:plain
長い独身生活は自由もたくさんありましたが、一人は一人です。
色々面倒なことがあったとしても、自分にはない発想の人と折り合いつけながら生活することは、自分自身の新たな発見が多かった。

 

そして生活のレベルは、一人で暮らしていた時から今でもさほど変わっていないし、変えないようにしてきました。
ですのでコロナ禍でも、さほど不安は感じていません。

しかし私の人生最大の野望は、「夫が超売れっ子日本画家になって私は左うちわ生活」です。

f:id:smile-baumkuchen:20200627190101p:plain
その時には、贅沢三昧の予定です。

 

さてこれからの自分史は、如何に?!
夫が売れっ子日本画家になるのは他力本願です。
「自分で自分を、幸せの高みに上げてやる!」の二本立てで、これからも邁進します。

 

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その5

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その5

 

こんにちは!メグモグです。

お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。

 

www.megumogu-seikatsu.com

↑↑↑のつづきです。

 

当時の仕事は自分一人で抱えていたものが多く、辞めるに辞められない状況でした。
ですので取り敢えず「退職するために会社に行こう」と決め、退院後1週間で職場復帰をしました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627193414p:plain

最終的に退職するまでに、一年掛かりました。

 

最後の方には、料理をすること、毎日ニコニコとお客様と接すること、が辛くなっていたのです。

 

会社近くに借りていたアパートも引き払い、実家に戻ることにしました。
そして失業保険を頂きながら職業訓練学校に通い、パソコン(ワードやエクセル)、簿記などを集中して学びました。
卒業と同時に、自宅近くの事業所で事務員として働き始めました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627190726p:plain

土曜日曜がお休み、朝出勤し夕方帰宅する、これらは全て人生初の経験です。

 

2年半ほどそのような生活を過ごすうち、「このままで良いのか…」と思い始めました。
「やっぱり、料理を作ったり、お客様と接したりすることで、自分を生かしたい!」そう思うようになりました。

 

ビストロ、カフェ、いくつかのお店で働き始めたものの、2年半のブランクは大きかった。
以前は簡単にできたことが、今サッとできない…。
気持ち的に追い詰められ、鬱っぽい状況にまでなりました。
しかし自分にできることをやらないで、逃げているような状況にも苦しかったのです。

 

その後、バイキング料理でもてなす格安ホテルの厨房で働くことになりました。
そのホテルは人員の効率化を図り、一人何役もこなすシステムでした。
事務職の経験を買われ、調理師のユニフォームを着たまま、空いた時間は宿泊の電話予約を受けるということもやっていました。

 

3年ほど働いた頃、転勤の打診をされました。
日本海側から太平洋側への異動です。
そしてそのホテルで料理長になる!というのが、私に課せられた命題でした。

f:id:smile-baumkuchen:20200627183835p:plain

胃の手術をしておきながら、既に仕事の虫になっていました。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ですね(汗)。


ここでの修行?期間は心身ともに大変でしたが、明らかに殻から脱皮できたと思います。
周りからの評価と、やれた!という自信が、私を強くも大きくもしてくれました。


そして寮生活で行動範囲が狭い生活をしていたおかげで、知らないうちにお金が貯まっていました。
懐が温かいと、心も温かくなりますよね。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627191115p:plain

ひと段落付いた頃、父親の具合が悪くなってきたこともあり、地元に帰る希望を出しました。
地元のホテルの料理長として、戻ることになりました。

 

自分が任された厨房のしくみ作りをするまでは大変ですが、一度回り出したらそれをチェックするのが仕事です。
昔の私のように、頭ごなしで叱ったり大きく見せたりはしません。
(私も大人になりました…)

 

そしてその頃、父親がパーキンソン病からの肺炎で亡くなってしまったのです。

 

お金にルーズだった父。
それを咎める母。
父には説教し、母をなだめる。
親子が逆転したような変な相関図が出来ていたのに、それらが無くなってしまったのです。

 

このあたりにも、私のお金のブロックの原因が隠れていましたね。
お金のブロックがすこしづつ外れていくのと、父や母をそれぞれ理解してあげられるようになるのは、同時進行でした。

 

そして「これからは、自分のことを一番に考えてもいいのかな?」
そう思えるようになったのです。

日々料理長として忙しく働きつつも、裁量は自分にあるので、気持ちにはゆとりがありました。
そして「結婚するのも良いかも?!」と自分でもビックリするような気持が沸いてきたのです。

f:id:smile-baumkuchen:20200627191433p:plain


もちろん、相手などいないのに。

つづきはこちら↓↓↓

www.megumogu-seikatsu.com

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その4

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その4

 

こんにちは!メグモグです。

お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。

 

www.megumogu-seikatsu.com


↑↑↑のつづきです。

 

会社の近くで一人暮らしをしていたので、胃がんを宣告されたことを実家の両親に伝えに行きました。
父は留守で、母だけが家にいました。

 

泣きながら状況を伝えました。
母は立派でした。
一切涙を見せることなく毅然とした態度で「お前を見守ってくれている人はたくさんいる。堂々と病院へ行け!」

f:id:smile-baumkuchen:20200627191837p:plain

 

これは、入院手術その後の諸々を乗り越える大きな力になりました。


入院する時は気持ちの整理も出来て、まな板の上の鯉状態で病院に向かいました。
結果的には、胃を2/3切除。

f:id:smile-baumkuchen:20200627190604p:plain
しかし切除した胃の潰瘍は、悪性と言えるレベルではない という病理結果でした。
ですのでその後の抗がん剤や放射線の治療はしていません。

切除しなくても良かったのでは?という疑問もありましたが、切ってしまったものは元に戻りません。
とにかく前を向いて生きていくのみ!と切り替えました。

 

ちなみに、胃を切除し病理結果で悪性ではなかったという方は、今までに二人お会いしています。

 

気が付いたこと

・あまりに仕事にのめり込んでいて、「私自身」という存在を忘れてしまっていた

・一人で生きている!と思っていたが、私には家族(両親、兄弟)がいることに気が付いた

 

そして「綺麗なものを見て、心地よい音を聴いて、美味しいものを食べて、心豊かに生きて行こう!!」

これを強く思いました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627192041p:plain

ここまでになる前に、自分でブレーキを掛けたり方向転換したり出来たら良いのですがね。
なかなかそれが、私には難しい。

 

私の基本的な性格は、穏やかです。
ですが仕事の立場上、ほとんどの時間を激しく強く勇ましく振舞っていました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192154p:plain
そうやって、上から押さえつけるような方法しか無かった。
素の自分で仕事をするほど、あの頃の私にはそこまでの人的魅力が無かったと自己分析しています。

 

つづきはこちら↓↓↓

www.megumogu-seikatsu.com


 

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その3

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その3

 

こんにちは!メグモグです。

お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。

www.megumogu-seikatsu.com

 ↑↑↑のつづきです。

 

 

スキーインストラクターとして10シーズン(10年)過ごし、自分の中ではやり切った感がありました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192504p:plain

調理師の資格を生かして飲食関係で働きたいと思っていたところに、喫茶店を多店舗展開している会社から声が掛かりました。

スキーシーズンを終え、春。

5月の爽やかな風が、心の中を吹き抜けるような気持ちでした。
今でもそれは覚えています。

 

その頃イオン、ユニー、平和堂など、ショッピングセンターの出店ラッシュの時期でした。
大店法の改正があったからです。

 

入社した会社は喫茶店を経営していましたが、路面店を1店舗だけ残しショッピングセンター内のテナントとして多店舗展開を狙っていました。

喫茶店で取り扱う食材で、ファストフード店が出来ないか模索中でした。
デザート系なら、ソフトクリームやクレープなどがメニューにオンできます。

食事系なら、ピザやホットドックなどが展開できます。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192738p:plain

毎日10時の開店時間から、夜は閉店後会社へ向かい、社長とミーティング。

遅くなれば、そのまま近くのラーメン屋さんで遅い夕食。

男性のような毎日を過ごしていました。

 

それらの店舗が軌道に乗ると、新たにコーヒーとケーキ、パスタを主流としたフランチャイジーの権利を取得することになりました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627192835p:plain 

多い時には10店舗の統括管理をしていて、至る所の店舗の店長から電話が架かるという状況になっていました。

 

今振り返ると、料理もマネジメントも基礎的なことを習得していた訳ではなかったのに、このような立場で働いていたことを面映く思います。

逆にこの時期に料理やマネジメントでしごかれる立場で働いていたら、全く違っただろうなと思います。
もっと学びたかったと、今でも思います。

タラレバですが。

 

ですがこの会社では、ハートを鍛えられました。
自分の親ほどの年齢の人が、部下という状況もある訳です。
色々な価値観、考え方の人がいます。
嫌なことも、たくさん言わないといけない。

私の人格と、私の立場は違う。
私の人格で、叱るわけではない。
私のこの立場が、叱ったり注意したりしないといけないのだ ということが分かった時から気持ちが楽になりました。

 

飲食業に携わる人にありがちですが、人が食べるものにはパワーをかけますが、自分の食事はなおざり。

当時の私もその通りでした。

休日も、月に2日か3日ほど。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627193414p:plain

8年ほどガムシャラに働いてきた、2000年の春あたりのことです。
物を食べた後、胃が刺し込むように痛くなるのです。
胃薬が、手放せなくなっていました。


ちょうど5月に会社の健康診断があるので、それまで何とかやり過ごすことにしました。

 

そして健康診断を迎え、胃カメラ検査に臨みました。

f:id:smile-baumkuchen:20200627193728p:plain

「潰瘍があるね、周囲の細胞を取って組織検査に出すね」と言われました。

そして胃潰瘍の薬が、その場で出されました。

胃潰瘍の薬は劇的に効き、今まで何で我慢してたのかな?と思うくらい。

そんな訳で、胃潰瘍の存在もすっかり忘れていたのです。

 

するとある日、仕事中に見慣れない電話番号からの着信がありました。

出てみると、病院の医師からです。

「外科的処置をした方がよさそう。詳しい話をしたいから、なるべく早く病院に来てほしい」。

 

外科的処置ということは、ガンしかないな…。
直感的に思いました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627193902j:plain

意を決して一人で病院に行くと、取った組織に悪性を示すものがあるとのことだった。

ショックではあった。

が、もう一つの気持ちがあった。
「これでやっと仕事が休める…」

その当時、会社の近くに一人で住んでおり、両親とは離れて暮らしていた。
毎日仕事仕事に追われている私の姿を、両親は知らなかった。
そして胃がんで手術が必要らしいという事実を伝えるのは、とても勇気が必要だった。

 

つづきはこちら↓↓↓

www.megumogu-seikatsu.com

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その2

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その2

 

こんにちは!メグモグです。

お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返っています。

 

www.megumogu-seikatsu.com

↑↑↑の続きです。

スキースクールの校長先生が始めた宿での、アルバイト生活が始まりました。

冬休みからジュニアのスキー合宿が始まるので、その食事作りやらお部屋掃除やらが最初の仕事でした。

年末に合宿が終了すると、今度は年末年始に宿泊に来るお客様のお世話です。

f:id:smile-baumkuchen:20200628121914p:plain

 が、冬休みも終わり1月も半ばになると、日中は時間が空いてきます。

「時間があるときは、スキー場に行って滑ってきたらいいよ!」と、リフトのフリーパス券を貰いました。

その頃は、緩い斜面なら足を揃えて滑るくらいの技量はありました。

スキーを始めて3~4年目くらいでした。

f:id:smile-baumkuchen:20200628122102p:plain

するとある日、「その足前なら、子供のレッスンくらい出来そうだから、宿の仕事が終わったらスキースクールに来て!」と言われたのです。

そうして、朝ご飯の準備をし、片付けをして、お客様のお部屋を掃除し、一通りの宿の朝の仕事が終わるとスキー場に行く。

午後3時過ぎると宿に戻り、夕食の準備から片付けまで、という生活になりました。

 

他のインストラクターがやっていることを、見様見真似でやりました。

とにかく子供達には、「スキーが楽しい」という思いをさせてあげたい一心でした。

 

 

スキーも上手になっていくし、スキーを教えることも楽しくなっていきます。

初めて「仲間」といえる人たちと出会えたことも、嬉しかったし楽しかった。

 

あっという間に、春です。

シーズンが終わり、下界(笑)に戻る時期になりました。

そこで自分が出した結論が「オフシーズンは飲食店でアルバイトをして、来年の冬もココに来る!」ということでした。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200627192504p:plain

それを何と!10年も続けることになるとは、この時は思いもしなかった。

もちろん、楽しくて仕方がない10年だった、という訳ではなかったです。

 

段階的に、指導資格は取得していきました。

それもトントン拍子という訳でもありません。

挫折感を感じて、向いていないかな…と辞めようと思った時期もありました。

そしてスキーシーズンよりもオフシーズンの方が長いので、「そんなことやって!!」という外野の声にメゲそうにもなる訳です。

自分で決めたことを途中で止めるのは、タダでさえ自分に自信がないのにもっとダメな自分になりそうで怖かった。

 

実は若かりし頃の私はメンタルがとても弱く、気持ちが沈んでしまうと、緩~い斜面でも怖くて滑ることができなくなるタイプでした。

他人から言われることも、いちいち過敏に反応してしまうナイーブなタイプだったのです。

f:id:smile-baumkuchen:20200628122828p:plain

 

指導資格の最高レベルも取得し、もう十分かな?と思ったのが、10年目のシーズン終わり頃。

この10年間で、心も身体も鍛えられました。

そして自分で決めたことをやり通せたという、強い自信にもなりました。

 

「地に足を付けた仕事をしよう」と、晴れ晴れした気持ちで調理師の仕事に戻ることにしました。

その頃、喫茶店を多店舗展開している会社から声が掛かり、そこで働くことになりました。

 

第2の転機です。

つづきはこちら↓↓↓

www.megumogu-seikatsu.com

 

 

 

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その1

自己肯定感がアップすると、お金のブロックが外れる?!自分史 その1

 

こんにちは!メグモグです。

以前に、お金のブロックのことを書いたことがあります。
今は、「お金、大好き~!」と言える。

www.megumogu-seikatsu.com

 

f:id:smile-baumkuchen:20200628123033p:plain

先日とあるサイトで、「お金は、自分」という言葉を目にした。

なるほどです。

お金は自分、お金大好き、自分大好き ですね。

 

確かに、お金のブロックがあった時は、私は自分のことが好きではなかった。

褒められることも、嫌いだった。

 

ではいつ、どうやって、自分で自分を好きになっていったのか。
そんな自分史を振り返って、キッカケなどを振り返ってみようと思います。

 

給食のおばちゃんの歴史は、高校を卒業して調理師専門学校に行き、免許を取得したところから始まります。

 

料理が好き!という訳ではなく、高校生のころから家族の夕食を作っていたので、「自分が無理なくできること」だったから進んだ道でした。

それなのにこんなに長く同じ仕事をしていることは、自分でもビックリです。

 

卒業後は、病院の給食のおばちゃん…(ではないですね、その頃は給食のおねえちゃん)として働き始めました。

給料も良かったですし、休日などの待遇もとても良かった。

ですが、一年、二年と働くうち何だかつまらなく感じてきた。

 

栄養士だと患者さんと接する機会があったり、業者さんなど外部の人との接触もあります。

調理師は、決められた献立を決められたとおりに作るのが仕事です。

 

仕事からの広がりを、見いだせなかった。

悶々とした日々を送っていました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200628123225p:plain

色々考えても埒が明かない。

「辞める!ということをやろう!」と一人で決め、後のことは全く考えずに退職してしまいました。

 

 これは自分で考え、自分で決めて、自分で行動する、ことを人生の中で初めて経験した出来事でした。

それまでは、「こうしたら?」と親の言われるまま進んできていました。

そのことは、全く疑問にも思わなかった。

給食のおばちゃん、人生初の転機でした。

 

そんな私が一言の相談もせずに仕事を辞めてしまったことは、両親にとってはとてもショックだったようです。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200628123500p:plain

 

辞めた時はウキウキでしたが、そのうち世の中の荒波を知る訳です。

ちょうど日航機が御巣鷹山に墜落した頃でした。

毎日テレビを見ていた記憶があります。 

 

3か月ほど家でゴロゴロしていたでしょうか。

このままではいけない!と気持ちも動き出せるようになってきました。

料理関係なら、働き口に困ることはありません。

閉鎖的な給食の仕事ではなく、人と接する仕事に憧れていたので、飲食店でアルバイトを始めました。

半年ほどそんな生活をしていた時、スキースクールの校長先生が宿をオープンさせたという新聞記事を見たのです。

「こんなところで働けば、スキーが上手な人たちが集まってくるはずだし、ヒマな時には教えて貰えるかな?」と思ったのです。

 

早速電話をし、ウインターシーズンの約3か月半住み込みで働くことになりました。

つづきはこちら↓↓↓

www.megumogu-seikatsu.com

 

人生最大の野望も夢ではない!夫の絵がドバイで展示される展開に

人生最大の野望も夢ではない!夫の絵がドバイで展示される展開に

 

こんにちは!メグモグです。

私は給食のおばちゃん大家ではありますが、私には人生最大の野望があります。


それは、「日本画家の夫が超~売れっ子作家になって、妻である私は左うちわ生活をする!」です。

f:id:smile-baumkuchen:20200627190101p:plain
夫は、お金に執着が無いです。

というか、芸術家がお金に執着があると作品に色気が出てしまう気がします。

ですのでそれはそれで、ヨシとしています。

ですが自己満足で絵を描いていては、プロとは言えません。

 

私たちは、超~晩婚です。

 

私47歳、夫45歳、知り合って3か月ほどで結婚しよう!の展開でした。
私はずっと調理師として働き、自分で自分を食べさせてきたので、結婚するとは夢にも思わなかった。
まさに青天の霹靂です。

方や夫は、「男たるもの、妻を養わなければ!」という概念に囚われて、絵描きという因果な商売で結婚が現実的ではかったようです。

 

私の方は、「結婚したら旦那さんに養ってもらう」という概念が全くナシ!

私たちの場合、一般的な夫婦の関係とは真逆のような概念が、一致していたのです。

 

日本画家

f:id:smile-baumkuchen:20200627184101p:plain


調理師

f:id:smile-baumkuchen:20200628123913p:plain

どちらが食いっぱぐれのない職業か、明らかです。

「男性一人くらい、私が食べさせてあげる~!」の勢いです。

それで現在に至ります。

それでも、いつまでも給食のおばちゃんをやって、野望が夢に終わる訳にはいきません。


この世の中で、私は夫の一番のファンです。

そしてこの世の中で、夫の絵を売り込むのは私しかいない!とも自覚しています。

絵を描く人と絵を売る人は違っている方が上手く行く!と感じていました。

 

給食のおばちゃん大家として、バイクガレージや築古戸建物件の客付けが出来て一段落した頃のことです。

 

Webで絵画を紹介する会社から、Facebookのメッセンジャーに問合せがありました。

実は夫のFacebookページは、私が本人になり切って投稿してるものです(汗)。

 

その会社は、立ち上げたばかりで色々な作家との繋がりを模索していた時だったようです。
渡りに船とはこのこと。

早速メールでやり取りし、夫の活動や日本画を紹介してもらうことになりました。

すると更なる展開が?!

今度はそれを見た海外に日本のアートを紹介しているプロモーション会社から、問合わせがあったのです。

今までの私でしたら、「何?詐欺?」「怖い…」と後退りモードになっていたと思います。

ですが給食のおばちゃん大家の活動で、ハートが鍛えられていました。

 

f:id:smile-baumkuchen:20200628124200p:plain

例えば

「そんなお金もないのに、不動産投資なんてできる訳がない」
「あなたがやろうとしていることなど、無理でしょ」

「今、買わないとこんないい物件はでませんよ!」

といった態度の業者は数知れず。

 

「600万円で物件を購入して、1千万円融資を受けて…」

と、全く算盤が合わない物件を薦められる。

などなど。

 

そのような体験から、上から目線で言われることに対しては、毅然とした態度をとることが出来るようになっていました。

疑問に思うことは、はっきりと聞くこともできるようになっていました。

 

ですので、海外(この場合はドバイでした)に日本画を出展するということに対しても、同様の態度で臨めたのです。

 

結果、ドバイに出展を決めました。

これらのヒアリング力と決断力は、給食のおばちゃん大家をやっていなければ、決して養うことはできなかったと思っています。

給食のおばちゃんが、アラブの大富豪と絵画の値段交渉をする…そんなイメージトレーニングもしていました。

それなのに、コロナウイルスでドバイの展示会は延期…。

夫の作品は、現在ドバイの倉庫で眠ったままです。
2020年10月に開催されることになっていますが、「目指せ!完売!!」

 

その後の結果は、またこちらのブログでお伝えします。